バンコク クライシス


 1  6月15日大阪


   有沢祐二は機内にいた。

  2時間ほど前、関西国際空港4階の出発カウンターで関空発バンコク行きTG623便に乗るためにチェックインを済ませ、免税店でいつも吸っているマイルドセブンライトを2カートンを買い、出発ゲート近くの椅子に座って出発の時間を待っていた。

  祐二にとっては3回目の海外である。一度目は大学のときに韓国に行った。2度目はアメリカに会社の出張で。そして今回はタイである。

   
  祐二は2ヶ月前に10年間勤めた会社を辞めた。会社は印刷関係の仕事であった。いたって普通の中小企業であったが、バブル後に入社したため給料も10年間でほとんどといっていいほど昇給もない状態であった。また、最近は社内の雰囲気になじめくなっていた。
 6ヶ月ほど前から辞めることを考え、そして2ヶ月前に辞表を頭の禿げ上がった社長に提出した。社長はまったく予想していなかったらしく2時間ほど説得されたが、祐二はどんなに説得されてももうこの会社にいる意味はないと思っていたし、未練もなかった。ほとんど逃げるように会社を後にした。

 退職金の100万円と今までの貯金100万円で手元には200万が手元にある。特に次の仕事を探すわけでもなく、ほぼ毎日近くのパチンコ屋でスロットをしていた。しかし、そんなに勝てるわけがない。1ヶ月後には手元には150万円しか残っていなかった。

 このままではまずい。と思いながら何もやる気がおきないまま無為な日々をすごしていた。
 そんな時インターネットでタイのホームページを見つける。どうせこのまま日本にいてもスロットばかりでお金はなくなっていくだけで終わってしまうだろう。なんかこのまま人生も終わってしまうのでは・・・と思い、タイに行くことにした。

 有沢祐二、32歳。ほんの思いつきの行動であった。

 祐二は3年間付き合っていた彼女に1ヶ月、タイに行くことを告げる。彼女は怒りながらも1ヶ月で帰ってくるならと、了解してくれた。彼女にしてみれば、反対しても行くときめたら祐二は行くだろうとなかばあきれはてて了解したにすぎない
 祐二は会社を辞めるときも彼女がどんなに引き止めても、結局は自分勝手にやめてしまった。だから彼女は結局、今回の件も無駄な面倒をおこしたくないのでしぶしぶ認めたのである。

 TG623便はほぼ定刻の11時45分に滑走路をすべるように動きだし、速度をぐんぐん上げやがて離陸した。

 離陸後約15分。
梅雨真っ只中の雲を切り裂きながら、ぐんぐん高度をあげ、やがて雲の上に達した。
雲上には溢れんばかりの太陽が降り注いでいる。心なしか祐二には太陽が近く感じる。そして久しぶりに見る燃え盛る太陽に祐二は目を細め、これから先のこと、これからの自分のこと、これからの人生について考えていた。

 やがて、シートベルトのサインが消え、しばらくするとフライトアテンダントがドリンクのサービスをはじめた。

 ビールを受け取り、祐二はずっと窓の外を見ていた。